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オモンパカル 実行・計画プロジェクト一覧
「ていねいな暮らし」や「人や地球にやさしい暮らし」を実現するためには、何をすればいいんだろう。何をつくればいいんだろう。
必要だと思うことひとつひとつを、プロジェクトとして捉えてみました。これからこんなことをしてみたいという、一覧です。
暮らしの場をつくる
伝統構法 de セルフビルド
実行中!!
パーマカルチャーガーデン
実行中!!
古納屋リノベーション
計画中
たべものをつくる
田んぼ:米
実行中!!
魚
釣り場開墾中!!
畑:野菜
実行中!!
ルーフトップ "エディブル" ガーデン
実行中!!
卵
絶賛頂き中!!
日々の食卓
実行中!!
ヤギ
計画中
保存食
勉強中!!
エネルギーを自給する
電力:わがや電力
施工完了!!
薪ストーブ
施工完了!!
計画中
薪ボイラー
計画中
計画中
計画中
快適カマド
計画中
計画中
計画中
雨水利用
計画中
アウトフローを自然の循環に乗せる
コンポストトイレ
計画中
循環型浄化槽
施工完了!!
計画中
計画中
バイオジオフィルター
計画中
ライフスタイル改革
田舎暮らし
実行中!!
計画中
計画中
2拠点生活
計画中
計画中
"仕事"の新しいとらえかた
実行中!!
"消費者"から"自分で立つひと"へ
実行中!!
健康・医療
自然療法
勉強中!!
コミュニティーでの子育て・教育・介護
計画中
模索中
ご近所さんで子供をみる
模索実行中!!
模索中
模索中
ご近所さんでお年寄りを助ける
模索中
模索中
模索中
フリースクール
模索中
地域おこし・移住あっせん
小挾間村でのネットワーク
実行中!!
大津留まちづくり協議会
参加中!!
小野屋温泉街の復活
模索中
模索中
模索中
地域おこし協力隊との連携
模索中
お金を必要としない関係の模索
模索中
模索中
物々交換
模索中
模索中
模索中
知識や労力の交換
模索中
模索中
模索中
もちつもたれつ 長い目で見た安定
模索中
現在提供できること
庭のデザイン・施工・手入れ
実行中!!
伝統構法セルフビルド指南
ノウハウ蓄積中!!
▶︎2拠点生活
これはあまりまだ実感を伴ってないので、なんとも言えないのですが、あくまで "ベースありき" だと私たちは思っています。でも、よく言われたりするのですが、「そこに根を下ろすの?」とか、「そこに骨をうずめることにしたんだね」というような言葉。土地に根ざし、田畑を育て、周りの人たちと信頼関係を築き助け合って生きていくことは、もちろん一番大事な "核(ベース)" であると思っています。でもそれと、"動く"ということは、また別の土俵にあるような気がします。ベースは「一番の拠り所」「衣食住が保証されてる安心の根拠たるもの」「帰って来れる場所」、そういうものです。ベースは育てれば育てるだけ豊かになるもので、安心を維持するために生涯育て続けるものだと思います。ある程度軌道に乗せるまでは”全力”が必要だと思いますが、その先は少しずつ維持が楽になり、プラスαの時間がとれるようになる。そこからは、どんどん外へ活動の幅を広げていっていいと思います。色々な場所に行ったり、色々な人に合ったり、その人なりの、ほんとの "活動" が、謳歌できるようになると思います。それこそ、ベースがあるからこそ、動ける。その延長で、"暮らしの場" も、ひとつだけじゃなくてもいいと思います。ベースを主とした、衛星的な拠点も持つ、多拠点生活。またそれは、色々なことを想定した場合の、リスクヘッジにもなるような気がします。
また、田舎暮らしを推奨するからといって、今の文明を全否定するわけではありません。やはりここまで文明を発展させることができた人間の叡智というか、パワーはすごいわけで、用は "モノは使いよう" という話だと思うんです。だから本来、人間は自然を破壊するだけの存在ではなくて、"自然が回復していくスピードを早める手助け" ができる存在にもなれると思うんです。
なので、生物として生きていくベースは田舎に構築しながらも、人間の叡智の結晶である都市部も、良い意味で活かしていく。これから都市部は、経済の中心というよりも、"人間が自然と共存して永続的に幸せに生きていくプロジェクト" の遂行の為の技術的な拠点、として、存在意味が変わっていけばいいなと思います。
暮らしを田舎で営みながら、都市部との連携を取る為の、2拠点生活。そういう意味合いも含んでいます。
話は戻りますが、僕たち家族で言うと、嫁さんの実家が東京で、お母さんもいるし、嫁さんは生まれ育った東京が好きです。いずれはそちら方面にも居場所を持ちたいなと思っています。もちろんベースは継続したままで。行ったり来たり、もしくは好きな方に居る。今いる村内での信頼関係がきちんと出来ていれば、それも軋轢なく可能かなと思います。そんな、僕たちの2拠点生活ビジョンです。
▶︎"仕事"の新しいとらえかた
今の世の中で "仕事" というと、たいがいの場合 "お金を稼ぐ行為" を差すと思います。でも僕は、その定義が根付いてしまっているせいで、その定義には当てはまらない(お金を生むわけではない)とても大切な行為が、軽視されてしまっているような気がします。本来 "働く" という語源は、「はた(側)を楽にすること」。その "はた(側)" って、やっぱり一番身近な人やものたちだと思うんです → (家族や友人や近所のひとたちや、それを育む環境など)。
具体的に言うと、家事や、子育てや、家族の記念日を祝うことや、困っている友人や近所のひとを助けることや、自分の生活環境を自分で整えることなど、そういったことを本来 "仕事" と呼ぶのではないかと思うわけで、むしろ、それが人としてすべき "基本" であるように思えるのに。不思議なことに今の世は、その基本をないがしろにしてまで、あるいは人にやってもらい(サービスという名の。お金をつかって!)、自分は "仕事" という名目のもと、全然知らないアカの他人の為に、あくせくと多大な時間とエネルギーを費やしている。そればかりか、その労力を費やす先は、世の中にとって必要でないものである場合が少なくない。"お金を生み出す為" に 生み出される、本来必要でない、余分なもの。だから、大事なものがどんどんこぼれ落ち、いらないものばかり増え、中身がどんどんスカスカになっていく。なので、"お金になる・ならない" というモノサシだけで計るのではなく、きちんと "価値" のあるものをモノサシとして、自分の時間とエネルギーを費やす先、すべき "仕事" を、選択していきたいと思います。
▶︎"消費者" から "自分で立つひと" へ
なにも、「農家になろう」と言っているわけではありません。僕個人もそうですが、今までが "消費者" 過ぎたかなと。
この国の、大半の人が、消費者だと思います。
じゃあ "消費者" って、よく聞く言葉だけど、実際どういう人を指すのだろうと、少し冷静に考えてみました。
その名の通り、"消費するひと"。用意されたものを、ただただ消費・利用するするひとのこと。
食べるもの、着るもの、住むところ。
そういった物質的なものだけでなく、医療や、教育や、万一の時の備え(保険)や、もっと言えば安全まで。
生きる為に必要なことを、すべて他からの提供によって、まかなっている人のことかなと。
その提供が何らかの理由で途絶えてしまうと、素っ裸!!
食べるものもない、飲むものない、明かりもない、暖をとるものない、使える道具もない。
とても、弱い存在ですね。
それはなんか、不安だなと、僕は思いました。
ずっと提供されるのが保証されてるのならいいかもしれません。でも、絶対とは言えませんよね。
そんな感じで、まず提供してくれる側がいないとニッチもサッチもいかないというリスクがまず一つ。
加えて、実際提供されるもののこと。
はいどうぞ、と差し出されたものを、"受け入れるしかない" というリスクがあると思います。
出されたものがいくら危険なものでも、文句が言えないんです。というか、文句しか言えないんです。いくら文句を言ったところで、受け入れるしかない。だって、それを受け入れないと、他に生きる方法を持ってないんですもの。
具体的にあげると、身体に入るもの(食べ物や飲み物)、おかしくなったときの薬、その人を形成する教育、時間や命の使い先(戦争…)、など。
それすべて提供側のさじ加減て、考えただけで恐ろしいですね。。
でも、大半の人はそんなこと考えないだろうし、提供されるものに対して、そんなに疑問を持ったり、詮索したりしないと思います。言われたこと、出されたものを素直に受け入れるほうが楽ですからね。出されたものを色々と調べたり、それを受け入れるか考えたりするのは労力がいります。
提供側が本当に "消費者のことや消費者を取り巻く環境のこと" を考えてくれる人ならよいのですが、
残念ながらそうじゃない気がします。
提供側のモノサシは "いかに儲かるかということ"、"いかに消費者を都合よく動かせるかということ" 、"いかに提供側がオイシイ立場を守れるかということ" そんなものだという気がします。
それは個人の意思というより、資本主義というシステム自体がそうさせてるのだと思います。
様々なものを数字(お金)に換算して、様々ものを得るためのお金をいかにたくさん持てるか。
資本主義のモノサシなんて、ただそれだけです。
人の幸せだとか、動植物のためだとか、未来のために良い環境を残すだとか、そんなものは "お金になるならないのモノサシ" の前には一蹴です。
そりゃ建前では色々な目的や理由を掲げますが、いざ行動を起こす為の条件の頂点に立つのは、悲しいかなお金のモノサシです。それが満たされない行動は何ひとつ成されません。
そして資本主義においては、お金で交換する対象の様々な "資源" は、"無限にある" が前提条件です。
そんなわけないのに…
現に様々な資源は尽きていってるし。
だから、このシステムの中、提供者からなされるがままに進んでいくと、気づいたときにはとんでもないとこに連れて行かれてるって可能性もあるわけです。
ただそれは、このまま黙ってついていってたら、です。
幸い、現段階ではまだ、大変ではありますが ”選ぶ” ことが出来ると部分が多く残されています。
提供側の、言うこと、差し出されるものを鵜呑みにせず、きちんとこれは自分たちの為にとって良いものか、未来にとって良いものかを考え、それに沿った判断・選択・行動を出来るようになれば、進む方向は変えられるかもしれません。
結論としては、その考え選択できるようになった状態が、いわゆる "消費者" からの脱却なのかもしれませんね。
"危険な依存状態" から抜け出すにはどうすれば良いか。
それを考えることが、"自分で立つ"ことの第一歩かもしれません。
消費者であることに慣れきってしまった私たちには、簡単なことではないですけどね。いっぺんにはほんと無理なので、出来ることからひとつずつ。でも目指していれば、どんどん良い方向に向いていく。きっとたどり着けると思います。なにがあっても左右されない、自分で安心をつくれる状態に。
その状態を目指す、プロジェクトです。
▶︎ご近所さんで子供をみる
昔はそうだったこと。現代の核家族化による弊害。
私たち夫婦も今、3歳の娘と0歳の息子の子育て真っ最中です。現在大分県在住で、二人とも親は他県におり、基本的に近くに身寄りはいません。これまで夫婦2人で子育てをしてみて。やっぱり大変です。大変というのはつらいという意味ではなく、ほんとに2人で全力投球です。それでやっときちんと子供に向き合えてるかなと思います。
夫婦2人でよく話します。世の親たちも、みんなこうなんだろうね。親が近くにいればまた違うんだろうけど、働きながら、子供を育てるって、ほんとに両方完璧にって難しいことだ。その狭間で起こるストレスもたくさんあるし、子供はたくさん欲しいけど、この大変さは確かに躊躇してしまう。
村のおじいちゃんやおばあちゃんに話しを聞くと、昔はおじいちゃんおばあちゃん世代が子育てをしていたと。親世代は仕事。そして子供たちは、おじいちゃんおばあちゃんからいっぱい色んなことを教わっていたと。
主には自分の孫のことでしょうけど、コミュニティーの中で、みんなで子供を見るという仕組みがあったはずです。
なんか、そういうのがいいなと思い、積極的に子供をご近所さんのところに連れてってみてます。
▶︎由布市地域おこし協力隊との連携
もともと移住やまちおこしに関することに興味があったので、最初はこの地域おこし協力隊として働くことも考えていました。でも、色々やりたいことや表現したいことを考えて、個人的な切り口で、そういった移住やまちおこしに関することにもアプローチしていこうと思い、今こうしてやっています。当初役所の方と色々話したりもしたのですが、私たちがもう少し実績というか、ビジョンを具現化できてきた際には、ぜひ連携しておもしろいことが出来ればいいなと、これまたひそかに勝手に思っています。
▶︎知恵や労力の交換
物質的なもの以外にも、価値のやりとりは出来ると思います。これは特に、若者とおじいちゃんおばあちゃんとの間で、自然になりたつんじゃないかなと思います。
▶︎伝統構法 de セルフビルド
きっかけは、家って自分で作れないの?というところから。現代の "あたりまえ" だと、家は住宅会社に建ててもらい、その際にかかる大きな費用を、何十年もかかって返していくというのが通例。その為の生涯資金計画がうんたらかんたら。そして、"在来工法" と呼ばれる方法で、"新建材" を使用して、家を作る。ひとつの側面から見ると確かにメリットもあるでしょう。でも僕はそれが "あたりまえ" になってることに疑問を感じました。
オモンパカルのコンセプトを元に、"何を" "どうやって" つくるべきなのか。掘り下げていくと…。
最終的に取った選択は、石場建て・木組み・土壁による、昔ながらの家づくり。ほとんどが、"土に還る素材" でつくられた、身体にも環境にも優しい家。そこに前提条件の "セルフビルド" を組み合わせたい。手探りですが、やる価値は必ずあるはず。オモンパカルの、プロジェクト第一弾です。
▶︎パーマカルチャーガーデン
数年前に出会った”パーマカルチャー”。以来、私たちの考え方の ”芯” になっているものです。
持続可能な循環する世界をつくるための、人の生き方や、空間作りの考え方。それは、水や空気の風の流れ、動植物の特性や、人の生活スタイルまで、とても色んなことを考えてのデザインになります。
家を含めた敷地全体を、余すことなく、暮らしの場として活かせるよう。
”捨てるもの” が何もないくらい、様々なものがスムーズに循環し合い、大きな実りを産む仕組み・デザインを、この敷地内につくりたいと思っています。
▶︎古納屋リノベーション
この敷地には、築50年程度の、立派な納屋があります。大きな梁を持つ、とてもしっかりした建物です。現在セルフビルドで建築中なのが自宅に対し、この納屋は「人が集まれる場所」にしたいと思っています。宿泊できたり、ご飯を食べたり、催し物を開いたり。そんなスペースにリノベーションしたいと思っています。次点着手プロジェクトです。
伝統構法 de セルフビルド
古納屋リノベーション
▶︎ルーフトップ "エディブル" ガーデン
今回、"伝統構法 de セルフビルド" にて施工中の自宅では、芝屋根を採用しています。そこに部分的に芝ではなく土を入れて、植地帯を作っています。そこに食べられる植物を植えて、見た目と実益を兼ね備えた "ガーデン" にしています。あまり土の深さが無いため、主に葉物野菜やハーブなどを植えています。芝屋根の上でピクニック。そこに咲いている花や実をつまんでお茶を飲む。。そんな想像を膨らませています。芝屋根は断熱性能も◎!
▶︎わがや電力
オモンパカルのコンセプトに沿うと、出来るだけエネルギーを自給することは欠かせない。その最たるものが電力。我が家もも、オフグリッドに挑戦したいと思っています。色々と調べていたところ、見つけました。テンダーさんという人が書かれている、その名もわがや電力という本。
そもそも電力会社からの送電を受けず、今までの暮らしと同じような電力をまかなおうとすると、設備投資に200万円くらいかかる。というのがよく目にする情報でした。それじゃあなんか違うよな…。と思っていたところ、出会いました。
そもそも、"これまでと同じ電力量の生活" というところから、考え直すところに活路がありました。テンダーさんは、自宅 "てー庵" にて、水も電気も熱源も、すべて自給の生活(フルオフグリッド)をしています。わがや電力は、そこでも採用されている "小学生でも出来る家一軒分の発電システム" 。とても丁寧にしくみが説明されていて、それに伴う生活の仕方も含めて、とてもワクワクするような内容の解説本です。決して "我慢した暮らし" などではありません。しかも費用は15万円そこそこ。一気に、希望の扉がゴゴゴゴっと開いたようでした。その工程にさしかかったとき、また改めて記事にします。ヨホホ研究所
▶︎コンポストトイレ
循環型の暮らしを考えたときに、とても大事な要素だと思っています。今の世はほとんどが水洗トイレで、自分たちの排泄物は、自然と乖離した状態で集められ、わざわざエネルギーをかけて処理し、海川に流したり、なんと燃やしてセメント用の灰にされたりするそうです。もう水洗トイレが当たり前すぎて、「うんこの行き先」なんて考えませんよね。ジャーっと目の前から流れていってしまえば、終わり。でも目の前から消えただけで、その先には色んなことに悪影響を及ぼしてる。ゴミも一緒ですよね。
本来自然界というのは、何かのアウトプットは、必ず何かのインプットになってる。言い換えると、誰かのうんこは誰かの食べ物になってる。そうやってアウトプットとインプットを繰り返して、周り巡ってまた自分のとこに帰ってくる。昔はそうでしたよね?うんちは肥料として利用され、その肥料で育った作物をまた自分たちが口にする。それがまさに、循環。無駄なもの何一つなし。自然とかけ離れた生活をしている今の自分たちが、自然と寄り添う生活を取り戻そうとしたときに、はずせない部分だと思います。
だから、従来の水洗トイレ+浄化槽という選択は絶対嫌だった!でも、水洗トイレの都合よさに慣れてしまってる自分たちには、ハードルがあることも間違いありません。出来るだけ快適性もそこなわず、工夫して導入していきたいと思っています。自作するのか、売ってる商品を導入するのか、目下検討中。
▶︎循環型浄化槽
コンポストトイレの情報をあさっていたときに、行き着いたこの循環型浄化槽。正直これは、とても良い!!使用感は従来の水洗トイレと同じなので、コンポストトイレでハードルだった部分が無くなります。浄化槽を自作し、その行き先を直接畑の養分とする(地下に汚水が巡る層をつくり、その地上部が畑になってる)。「くらし野工房」のさいとんさんという方が実行されていて、さいとんさんのHPに作り方が載っていました。こちらのほうを採用するかもしれません!
▶︎田舎暮らし
今、世の中(こと日本)で起こっている様々な問題。その問題解決への道が、ズバリ「田舎で暮らすこと(田舎にベースを持つこと)」にあると思っています。都市に人口が集中し、資本主義システムどっぷりの中で起こる様々な歪みや軋轢。その中で肉体的、精神的に苦しむ人のニュースがあとを断ちません。その都度世の中は、深刻そうに原因を取り沙汰し、対処的に小手先で解決策を講じています。でも、本当に改善をめざすならば、もっと原因の根本に目を向け、アプローチしていく必要があると思います。今一度、社会や個人のあり方を、落ち着いて深く見つめ直す。あまりにも複雑・巨大化したシステムに埋もれる中で、なぜか盲目的になってしまっている「あたりまえ・常識」にとらわれ、現代人は「ワケガワカラナク」なっているんじゃないかと思います。ほんとにそれがベストだろうか?と、冷静に考えてみる。そうすると、見えてくると思います。心の中の原風景というか、ほんとに欲しい幸せのカタチって、なんだっただろうと。
また、過度の消費社会により、削られる地球の資源や環境の問題も、紛れもない事実です。
今の私たちのこの、快適だ便利だ豊かだという暮らしは、未来の分の資源も前借りすることによって成り立っていると思います。そして、このままでは、自分の子供の代の頃には、尽きてしまうんじゃないかなと心配になります。苦労するのは子供たち世代や孫世代です。無駄にする訳にはいきません。
田舎で暮らすことには、それらをすべて根本から修正していける可能性があると思っています。田舎には、たくさん土地が余っています。あわよくば家があります。そこには土があり、水があり、昔から受け継がれてきた「生産する術」を持った方々がいらっしゃいます。
行き過ぎた「消費者」としての生活の修正し、自然に寄り添う生活を少しでも取り戻すことで、人にも地球にも負荷の少ない生き方ができると思います。そこで暮らすなかで、物質的にも精神的にも「本当の安心」を得られるんじゃないかと思っています。
あまりに消費生活に慣れてしまったため、様々なハードルが出来てしまってるのも事実だと思いますが、オモンパカルでも実体験を通して、そのハードルクリアーの方法・実例を、増やしていけたらと思っています。
庭(暮らしのフィールド)
ルーフトップ
わがや
コンポスト
浄化槽
▶︎若者がお年寄りを助ける
私たちはこれから、若い人がどんどん、この村にもそうだし、いろんな田舎に、ベース作りを求めて移ってきてくれればと思っています。その時に、これは一番自分が実感してることなんですが、田舎のおじいちゃんおばあちゃんから話を聞くのが、ほんとうにためになるんです。僕ら世代が知らないことを、たくさん知ってる。僕らはそれを伝授してもらうことが、ほんとに財産だと思います。その代わりに、僕らにはしてあげられることがあります。なんせ体力だけしか取り柄がありません。色々教えてもらう代わりに、おじいちゃんおばあちゃんがキツくなってきたことをやってあげる。そうやって、持ちつ持たれつで、やっていければいいなと思います。世代間の縦のつながりを、もっともっと濃くしたい。というか取り戻したい。
▶︎フリースクール
まだほんとに漫然とですが、教育に関して、小学校・中学校・高校・大学に行くというレールが、常識になっているのにも、少し疑問を感じます。もっと色々選択肢があって、いいんじゃないかな。学びたいことを身につける方法は、無数にあると思う。学びたいことを、学びたい人のところに行って、主体的に学ぶ。それがもっと早い段階であってもいいと思う。コミュニティー内でも、そんな場所があってもいいと思うな。
▶︎小挾間村でのネットワーク
これは移住前からうすうす思っていたことですが、移住において心地よい暮らしが出来るかどうかのカギは、移住先の方々との信頼関係がとても大事だということです。住んでみてあらためて思います。それは一朝一夕でつくられるものではなく、村の中で、様々な苦楽を共にし、誠実に生活することで、ゆっくりゆっくり認められてくるものです。でも、じわじわとそれを実感できるときは、とても嬉しいものです。こちらもそうですし、お互いに心が開けあったりしてくると、他人じゃない気がしてきます。そんな絆から生まれる、化学反応を起こしたい。
出来れば今後、この村を中心に、私たちのような移住者が増えてほしい。その架け橋になれたらと思っています。その為には、まず私たちが信頼されること。元々住んでる方々と、新しく来る人。それぞれが良好な関係を築き、良い化学反応を起こせるために、力になれればなと思っています。
▶︎大津留まちづくり協議会
私たちの住んでる村は、小挾間(おばさま)村といいますが、この村を含む少し広い範囲を、「大津留地区」といいます。そこには去年廃校になった小学校があり、そこを "交流センター" として新たに活用し、今まちおこしに力を入れようとしています。まだ私たちはメンバーでもなく特に運営に関わってるわけじゃないのですが、いつか私たちも関わりたいなと、ひそかに勝手に思っています。
▶︎小野屋温泉街の復活
私たちが住んでる集落の近くには、数年前に営業をやめてしまった「小野屋温泉」というものがあり、昔はそこを中心に温泉街が盛えていたそうです。旧道沿いにあるのですが、横に河が流れていてなんだか雰囲気もいいので、せっかく住んでるところの近くですし、もう一度復活して欲しいなと思っています。何か力になれることはないかなと、常々考え中です。
▶︎物々交換
今の資本主義社会、経済社会の限界は明らかで、「それに変わる仕組み」へのシフトは必要不可欠だと思うのですが、そのベストな形は何なのか、実践模索は続いていくと思います。”お金” は確かに、ものごとのやりとりを円滑にする上で、合理的な役割を果たしてくれます。本来その為に生まれたシステムでしょう。でも結局、それは諸刃の刃だったわけで、今私たちはそのシステムの延長線上におり、実際に様々な問題に直面しています。
なので、こういう議論をすると必ず、「そうはいっても、お金を全く無くした社会というのは成り立たない、今の経済のありようが悪いわけで、もっと良い経済の仕組みというか、正しいお金の使い方・流れを作っていくことが大事だ」という類の線が必ず出ますが、確かにこれから模索していくべき道の主線でしょう。
でも私たちは、やはり"経済"という同じ土俵の上にいては、また同じところに戻ってきてしまう、今社会が孕んでいる問題からは根本的には抜け出せないんじゃないかと思うわけで、全く違う土俵での模索も、必要なんじゃないかなと思っています。
そういった上で、ベタですが、物々交換。でも交換する際に、"同等のモノや量" というような基準を考えず(それだと結局何かがお金の代わりになってしまうだけなので)、双方が "納得" すれば良しとする。
自分が少しずつ、試してみようと思います。
▶︎もちつもたれつ 長い目で見た安定
短期的に見ると、"個々人の持ち物がどれだけあるか" が、安心のバロメーターになるんでしょうけど(今の世の中ほとんどこの感覚だろう)、"共有のものがどれだけあるか" のほうが、長い目で見るとよほど安心の材料になると思う。その範囲は広ければ広いほど良い。
個人的にも、田舎暮らしを始めてはじめて気付いたのですが、村の人と信頼関係が築けてくると、ほんとに安心するんですね。なんというか、何があっても大丈夫というか、何かあったらこの人たちが助けてくれるっていうか、そんな感覚。それはいくらお金を持ってたって、いくら稼ぎがよくたって、かなわない安心感のような気がしました。
だから、私たちが村での暮らしで一番大事にしているのは、誠実に村の人と接する、誠実に暮らすっていうこと。村では色々と、誰かがやらなきゃいけないことがたくさんあります。それをみんなで協力してやっていくわけですが、それは出来るだけ優先しようと。時には自分のことを差し置いてでも、村の人が助かるんなら手をあげようと。
ともすればそうなりがちだと思うんですが、コミュニティーで暮らすにあたって、個人的な守りに入ってしまうと(時間や労力など、出し惜しみすること)なんにもならないと感じました。それよりも、あくまでも村の中に自分がいる感覚で、村全体を自分ごとと考えて、村が良くなるならっていうのを選択基準にして行動すると、とたんに自分も、自分のもちものが増えた!ような感覚になるんですね。物質的に何か得たわけじゃないけど、なぜか安心感が増える、不思議な感覚でした。
この感覚も、出来るだけ範囲が広ければ広いほどいいんだろうなと思いました。私たちが今言ったのは "村" という単位ですけど、その範囲が "地域" になり "市" になり "県" になり "日本" になり "アジア" になり "世界" になり "地球" になる。
個人や家族だけの枠で良し悪しを判断するんじゃなくて、出来るだけ広い範囲を、"自分ごと" として捉え、良し悪しの判断もその範囲で捉え、行動できれば、ほら不思議、とたんに自分の持ち物が広がった気になりませんか?自分が捉えた範囲内の分だけ、全部自分のものになるんです。屁理屈かもしれませんけど、私たちは真実だと思います。だって、まぎれもなく私たちは、その中に、生きてるんですからね。いくら個人や家族の枠内で安泰だと思ってたって、それを包む外の枠が崩れてしまえば、自分たちもろとも崩れてしまうんですから。
自分のためじゃなくて、出来るだけ広い範囲のことを思って行動する。一見ばかを見そうですが、長い目でみると、それだけ大きな安心を、自分が受け取ることができると思います。ちゃんと、人には伝わると思います。そんな気持ちで行動している人が何か危機にあったときに、周りがほっとくもんですか。必ず、そのときはその範囲の人やものがすべて、その人の力になってくれる気がします。
こういった考えで行動するひとが増えれば、必然的に、危機に直面している世の中は修正の方向へ向かうと思います。
広い範囲で捉えれば捉えるほど、一人一人の行動の影響はミジンコみたいに思えるかもですけど、すべては一歩から、積み重ねだと思います。自分ひとりがやったって…って思うよりも、自分だけでもやろうって、気持ちで行動したいと思います。
▶︎庭のデザイン・施工・手入れ
僕はこれまで、植木屋で職人として修行し、その後工務店でお庭設計の仕事をしてきました。
なので、現在僕が人様に提供できることとして、この庭仕事があります。
自然を感じる雑木の庭、パーマカルチャー、オモンパカルを通して得たことなど、これまで学んだことをお庭づくりにフィードバックしています。
庭と共にある暮らしが、身も心も豊かにしてくれるような、生活の質を高めてくれるような、そんな庭づくりを心がけています。
▶︎伝統構法セルフビルド指南
目下進行中のセルフビルドで得た知識を、似たようなことをやりたい方がいれば、お伝えしていきたいと思います。
田舎暮らし
2拠点生活
仕事
消費者
ご近所さん
若者
フリースクール
小挾間村
まちづくり
小野屋温泉
地域おこし
物々交換
知恵や労力
もちつもたれつ
庭のデザイン
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