幸せの手段

2019/01/02

今回、直焚きの風呂をつくったわけですが、その際に、あらためて思ったことについて。。

 

 

一昨年くらいの冬だったか、もう現在の場所で暮らしてた時でしたが、

すごい寒波で、当時使ってた灯油ボイラーが壊れて、数日お湯が出ない状況があったんです。

 

朝、どうしても手足がかじかんで、お湯につけたいと思ったんです。

その時、コンロでお湯を沸かし、それを洗面器に入れて、手足を温め、顔を洗いました。

 

そんとき、超幸せだったんですね。

あ~~~~、幸せ~~~~~。

と、声に出ました。

 

これは、蛇口をひねればいくらでもお湯が出る状況では、

絶対に感じれなかったであろう、幸せ度合いだと思います。

 

そしてその幸せ感は、単に、あったかいお湯に触れたコトによるものだけじゃない気がしました。

なんというか、自分がとても、まっとうなことをしてる感じ、というか。。

 

限りあると知った中だと、大切さが増し、喜びが増すんだな。。

と、そのとき思ったんです。

それに気付いたときの、誇らしさというか。

 

逆に、お湯垂れ流しで使っていたときの、無意識の後ろめたさに気付いたというか。

その後ろめたさが全くない上での、清々しさに気付いたというか。

 

それで、なんというか、「これで全然足りるじゃん!」とか、

「こっちのがいいじゃん!」と、思いました。

 

そんときの幸せ感が、後々もすごく鮮明に残ってて。

今回の風呂や給湯システムを決める際にも、あらためて思い出しました。

 

 

本来、便利、というのも、「幸せを感じる手段」として、追い求められてきたものだと思います。

でも、便利に慣れた結果、大して幸せを感じなくなってるとしたら?

不便、のほうが、幸せを大きく感じられるコトがあったとしたら?

 

それは、「幸せかどうか」というモノサシで判断したとき、

便利という状況が、本末転倒なのでは?

と思いました。

屁理屈かもしれませんが。

 

でも僕は、人生の中で、よりたくさんの「幸せ。。」と感じる瞬間を味わいたいと思っています。

たとえ今の常識的に、不便・たいへん、と思われるようなことでも、

より幸せメーターが跳ね上がる気分を味わえるなら、そっちを選択したい。

 

 

それは、今回の風呂だけじゃなくて、これから目指す暮らしの、核になってるコトのように思います。

 

冷蔵庫が無い方が、幸せを感じられるなら、無くてよい。

掃除機が無い方が、幸せを感じられるなら、無くてよい。

電気が無い方が、幸せを感じられるなら、無くてよい。

車が無い方が、幸せを感じられるなら、無くてよい。

 

極端かもしれませんが、判断基準はシンプルです。

 

もちろん、何を幸せと感じるかは、人それぞれだと思います。

それが僕の場合、”手応え” なのかな。。と思っています。

 

ひとつひとつの物事を、自分の意思で自分の力で、自分の責任の取れる範囲で、丁寧に成せれてるかどうか。

自分の手と意思で、つくったり得たり選んだり使ったりしてるときって、それを手を通して体感してるときって、文字通り”手応え”を感じるんですね。

そんなときは、とても充実感や幸せを感じる。

 

それと、より様々なものと”調和”が取れてる状態を、幸せと感じるようです。

 

自分で責任の負える範疇のものは、他に迷惑をかけないで良いということ。

他に迷惑をかけないで良いということは、後ろめたくないということ。

調和がとれてる状態ならば、それがずっと、続く気がするということ。

 

そんなときは、幸せ、というか、安心・穏やか・誇らしい。そんな言葉で表現できるような気持ちになります。

 

 

だからより、日常的にそんな気持ちになれるような、手段を選ぼうとするんだと思います。

いや、それらの手段が、どんだけ手間がかかって大変かは、正直まだ体験したことないんですけどね…。体験して、どう思うかは、またそんときはそんときで。

 

 

便利・不便、成り立つ・成り立た無い

というモノサシだと、明らかに後者かもしれない。

でも、もっと元の、

どっちが幸せか…

をモノサシとすると、おのずと、迷いは消えるような気がします。

 

 

 

そんなエピソードから、風呂は直焚き!ボイラーは無し!

という結論になりました。

 

 

というか僕まだ、人生で直焚きの風呂に入ったこと無いのです。

どんだけ気持ちいいか、楽しみです!

 

 

さて、まだ途中の石張り、がんばらねば。。

 

 

 

 

 

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