竹部会 まち協のあり方
3時半起床。日記、ブログ。
6時半みんな起床。
朝ごはんを食べて、掃除洗濯ニワトリさんのお世話。
9時、子どもたちを保育園に送ってく。
今日はその足で、湯布院へ。
先月参加させてもらった、竹堆肥作りの会「竹部会」の日です。
もうなんか、僕も船に乗っちゃったつもりなので、今月も参加させてもらいました。
今日も、堆肥の切り返し。
今日も中からたくさんカブトムシの幼虫が出てきました。
この堆肥は、スタートが昨年の12月って言ってたかな?
だいたい1年で使用可能って言ってたので、あと少しで完成です。
恒例の休憩時間。
いろんな話をします。普通の雑談でも、僕にとってはとても勉強になることばっかりで、刺激的。こんな話が聞けるだけでも、参加させてもらってる価値はあると思う。
今日も無事、竹部会の活動は終わりました。
12時まで。
一度帰宅して、昨日の漆喰塗りのあとそのままにしてた、コテ洗いなど。
そのあとは交流センターにいき、今日夜の会議で使用する資料づくり。
実は先日、地元の高校である由布高校から、授業の一貫なんだろうけど、何かボランティアできることはないですかとオファーが来ていたんです。大津留まちづくり協議会に。
なので、せっかくだから単発のボランティアじゃなくて、将来長い目で見て
、まち協と高校生が ”タッグ” を組んでいけるような流れにしたいなと思ったので、ちょっとその枠組みを考えてみてるのです。個人的に。
名付けて、”まち協高校生メンバープロジェクト”。
まずはまち協に考えをプレゼンして、賛同が得られたら高校へと話を持ってく流れになるので、まずは今日の会議でその思いを説明したいと思い、急いで資料づくり。
思い描いてることを人に伝えるって、難しいですよね。
やっぱ視覚的に分かる資料があったほうが伝わりやすいと思って作ってみてるんですが、難しいです。。
まあ、できるだけのことをやってみます。
17時半まで。
18時、保育園お迎え。
帰ってきて、夜ご飯。
今日はキャベツのクリームパスタ。
そして僕は、19時からまち協会議のため再度交流センターへ。
今日のメインは、毎年得ている補助金とは別に、今年度特別に得ている補助金の使い道のこと。
小規模事業なんたらかんたら補助金というものらしいのですが、僕、あんまわかってません。
300万円くらいあるらしく、使い道の名目としては地域活性の為の事業であれば何でもよいそうなのですが、まち協内ではすでに、”特産品開発の為の機材を買う” ということで固まってるようです。
補助金は今年度で使い切ってしまわないといけない為、あんま吟味してる時間はないそうなんですが、まだ特産品と言っても何をつくるかというのも決まってない状況の中、とりあえず使えそうな機材を先買っとこう。。という流れなのです。
それに対して否定はないのですが、
せっかくの補助金だから、場当たり的な使い方じゃなくて、もっと先を見据えた有意義な投資があるんじゃないかな。。と思うのですが、じゃあ何なのかという案を個人的に練れてるわけじゃないし、今のとこ練る余力もないので、この流れに対しては口を挟みません。
いや、この機会に、あれば便利という機材を揃えることに対しては、決して反対なわけじゃありません。補助金があるうちに… というのは分かります。
でもそんな何十万もかかる機材を使って無理やり特産品を作る必要があるんだろうか。。というのが個人的な思いなので、なんとなく乗り切れないだけです。
でもまち協は個人じゃなくみんなでやってることですからね。僕の考えはちょっと偏ってますし。
地域に特産品があれば、そりゃあるに越したことはないと思います。
それで地域としての自力(補助金とか受けなくても自力で必要な費用を捻出できる力)がつけば、そりゃ良いとは思います。
では、なぜその資金が必要なのかというと、このまち協や交流センターを維持していくため、という答えが返ってきます。
では、なぜこのまち協や交流センターの維持が必要なのかというと、それは、地域が豊かになるため、という答えになります。
そこなんです。
僕が腑に落ちきれてないのは。
地域の幸せ → まち協&交流センターの維持 → 今は補助金で賄ってる(あと2年) → その先の費用を捻出しないといけない → 特産品開発
というのが今の流れです。
本当にこの構図は、議論を挟む余地のないものなのでしょうか?
もちろん、これまでのまち協の歩み、交流センターの歩みは、たくさんの価値を生み出してきてると思います。
その歩みの中には、当初から関わってる方々のたくさんの努力やアイデアが詰まっていると思います。
そしてこの先も、この状況を育てていくことで、たくさんの価値を生み出していくと思います。地域にとっての、有意義な存在にもっともっとなってくと思います。
では、補助金が途絶えたら、それは出来なくなってしまうのでしょうか。
補助金に変わる費用を捻出できないと、それは出来なくなってしまうのでしょうか。
特産品を開発してそれで維持費を捻出することしか、道はないのでしょうか。
それが出来なくなると、この地域の幸せは無いのでしょうか。
ちょっと極端ですけど、そういうとこなんです。
僕が一番、立ち返って見つめ直すことが必要だと思ってるのは、
地域の幸せ → ◯◯◯?
と、いうところ。
何が、どんな状態が、 ”この地に住む人が幸せな状態で、ずっとそれが続く状態” なのか、というのを、イメージすること。道標として思い描くこと。
が、一番大事なことだと思うんです。
なんでそう思うのかというと、今まち協と深く関わらせてもらうようになって、そこがおぼろげだという印象を、感じるからです。
色々と企画し、行っているけれど、どこに向かっているのか・どういう状態を目指しているのか、というのが、あまり描けてないまま、進んでいる感じ。
それもそのはずで、そもそもこのまち協&交流センターが、地域の方々が自発的に思い描き発足したというよりは、
小学校が廃校になることで、行政のほうから、「こんな風に活用してみては?5年間は補助金あげるから」という提案で、発足したらしいのです。
だから、地域の中から自発的に、
地域の幸せ → まち協&交流センターの発足・維持
として導き出したものじゃないということです。
だから、さっきの構図でいうと、
まち協&交流センターの維持 → 今は補助金で賄ってる(あと2年) → その先の費用を捻出しないといけない → 特産品開発
という、”維持をしなければいけない” からのスタートだからだと思うんです。
だから、どこへ向かうために、何のために、今まち協があり交流センターがあって、向かうべきところに行くのに今何をしなければいけない、というのが、曖昧なんだと思います。
もちろん、”地域活性” や ”移住促進” や ”高齢過疎地域の対策” などの言葉としての名目はあります。
でも欲しいのは、もっと血の通った、ここに住む人たちが本当に心の底から願う共有のイメージなんです。
言葉としての名目や、交流センター維持の資金を稼ぐため、今マーケットやその他イベントを企画実行しているけど、やっぱ随所に、ビジョンが明確でない部分が浮き彫りになるのを感じます。
一見ひとつひとつのイベントが、なんとなく盛り上がったとしても、なんとなく、それが何に繋がるのかがフワッとしてるというか。
もちろん、ビジョンが無いままモノゴトを積み重ねていっても、ある程度のとこまでは行けると思います。
でも、将来もっと浮き彫りになる根本の問題解決には、届かないような気がするんです。
僕は、もっと根本へのアプローチが必要だと思うんです。
ぶっちゃけ今すべきこととしては、特産品開発じゃないような気がするんです。
じゃあそれはなんなのかということを、もう一度根本からビジョンを描くことで、見出していきたいと思うんです。
このまち協メンバーを中心とする、この地域のみんなで。
…と、いろいろ書きましたが、整理すると、
別に特産品開発をすることに否定的なわけじゃないんです。
ただ、
「交流センターの維持にはお金が必要。だから特産品開発をしなければならない」
というのが、すごく部分的な視野のように感じてしまって、
その前に、もっと広い視野でビジョンを描いたほうがいいんじゃないかな…
と、感じるんです。
個人的な具体的な思いとしては、
「この地域が潤沢な資金を得るためにはどうしたら良いか?」
よりも、
「この地域が潤沢な資金が無くても幸せに暮らしていくには、どうしたらよいか?」
というベクトルのほうが、これからの世の中に合った考え方だと思うんです。
何にせよ、やっぱりここに住む人(特に若者)が増えてほしいなと、個人的には思います。農地の維持にしても、お年寄りのサポートにしても。
だから、特産品を開発して資金を得るための機材に300万使う、
よりも、
300万円使って一軒でも空き家を住めるように補修する、ことのほうが、優先順位は高いと思うんです。
これからの空き家改修のノウハウにも繋がるだろうし。
今、移住促進をうたってますけど、今住みたい!と手をあげてくれる人がいても、受け入れられる家が無い…というのが現状ですからね。。
とにかく人が増えることが一番大事で、その受け皿を整えることが、最優先事項だと僕は思うんです。
ここに住みたい!と思う人が増えるには、この地域の ”魅力” が必要なわけで、その ”魅力” が 、イコールこの地域の ”特産品” と言えるんじゃないかと思ってて、
実はその ”魅力 = 特産品” って、この地域に連綿と流れているというか受け継がれてきている、すごく日常的なことなんじゃないかな…と思うんです。
ここに来たい!!と思うような人にとっては。
だから、この地域における特産品開発って、「特別な機械を使って物珍しい加工品をつくる」ではなく、「この地域にすでに存在している宝に気づき、掘り起こし、日の目を当てる」ってことなんじゃないかと思うんです。
そして、その魅力に惹かれたひとを「いつでも招き入れることのできる体制を整える」、ってことなんじゃないかと思うんです。
日常の食卓、食べ物の作り方・得方、自然との付き合い方、伝統的に受け継がれている生活の知恵、自然に寄り添った暮らし方。。。
そんなものが、これからの時代を照らす宝であり、それを求めている人にとっての魅力になるんだと思います。
今、人がたくさんいる都会にはなくて、この田舎である大津留にあるもの。
それは、たくさんたくさんあると思います。
特産品なんてわざわざ開発しなくても、素敵な特産品をこの地域はもう持ってると思います。
だから、それをピックアップするようなことに、投資すればいいんじゃないかと思うんです。それはそんなにお金かかんないことだと思うし。。
…まあ、
流通できるような「特産品」を開発し、それでお金を得て、この地域を潤そう。ということと、
この地域にすでにあるものを「特産品」と捉え、その魅力を伝え移住者を増やすことで、この地域を潤そう。
というのでは、全然ベクトルが違うので、意識の変革はなかなかに難しいかもしれませんが。。
片やお金を得ようとする行為で、片やお金にはならない行為です。
「これまで〜今現在」からすると、お金を得る行為の前者のほうが、時代に沿っていると言えるのかもしれません。
でもこれからは、必ずしもその方程式は当てはまらないんじゃないかと感じてます。
これまでのように、お金 = 価値 とは自動的にはならない時代が、もうすぐ来るような気がします。
もっと根本的な、「何ものにも左右されない揺るぎない価値」を、今から蓄積していくことが、本当の意味で ”現実的” なんじゃないかと思っています。
…とまあ、個人的にはそんな思いを持っています。
でも、今すぐに、この個人的な見解をそのまま、まち協に落とし込むというか理解してくれというのも難しい話というか、それはエゴのような気もするので、今のところあくまで個人的な思いです。
でも、せっかく地域のことを考えるまちづくり協議会に参加させてもらってるので、今の状況やバランスは見極めながらも、ちょっとずつ、僕なりに、こういうことをしたほうがいいんじゃないかな?こういうことを考えたほうがいいんじゃないかな?ということは、共有を試みていきたいと思っています。
あくまでみんな目指してるとこは、”幸せに暮らす” という共通のことですから。
結果、できるだけたくさんの人が、幸せに暮らせるような道を、みんなと探っていきたいと思います。
で、話を戻しますと、今日の会議では、
特産品開発のための機材の選定を主に話し合いました。
そのあと、先ほど書いた高校生プロジェクトのプレゼンもさせてもらいました。
おおむね賛同を得られたので、とりあえず今度高校の先生にアポを取って、高校に行ってお話しさせてもらおうと思います。
その他、今度はじまるおおつる食堂のことや、次回のマーケットのことなど、話し合いました。
22時半帰宅。
お風呂に入って、0時就寝。
僕は、考えだけじゃなく、どんどん実行してかなきゃな。。
と思います。
まーまだ、まず自分たちの暮らしを理想に持ってくためにすること、たくさんありますが。
まずはそこから。
足元から。内側から。
手の届くとこから、確かなものを積み重ね、それをジワジワと、広げていきたい。