屋根の補修 湧くんについて
5時起床。ブログ。
6時半みんな起床。
朝ごはん食べて、8時半保育園送ってく。
9時、ちょっと買い出しして帰宅。
今日は寄る、1品持ち寄りのお呼ばれがあるので、その材料を少し購入。
帰ってきて掃除洗濯。ニワトリさんのお世話。
10時作業開始。
今日も出来たくん炭を袋に詰めて、そのあと新しく火付け。
そして今日は、ちょっと気になってた、やっとかないといけないことを先に片付ける。
それは屋根のこと。
当初屋根は芝を張ってみてたのですが、その芝が枯れてしまい、今は雑草屋根になってます。
芝がうまく繋がり育たなかったことで、その目地が空いてしまってるとこがあります。
これから日差しが強くなってくるにあたり、屋根材へのダメージ回避を考慮して、直接屋根のシートが見えてるとこの目地を埋めたいなと思っていたのです。
補修といっても、芝張りのときにも使った、砂を目地に埋めるだけなんですけど。
砂は、風呂作りのときに余っていたので、それを使いました。
バケツに入れ、えっちらおっちら屋根まで運び、敷き均していきます。
一応、気になるところは、すべて充填完了。
まあ、これがどう影響するのか、正直分かりませんがね。
一応、この屋根は防水シートで防水を保っているので、それを傷めない為の、なんとなくの処置です。
まあ、この簡易的な施工方法で、どれくらい持つかという実験の意味も、この屋根には含まれているのですが。
これで雨漏りすることなく長持ちするようなら、これも一つの例になり得るということです。だめならそのときはそのときで、それも例になるわけです。
そんな気持ちです。
でもなるべくなら長持ちして欲しい。
そうこうしてる内に、今日のくん炭も出来ました。
床張りは、1層目一通りのとこまであとちょっとです。
そして今日もちょっと午後3時頃から、お客さん。
昨年から少し関わらせてもらっている「きらめ樹」をされている方で、今後のことについて、しばし腰を据えて話しました。
僕ら夫婦がその考え方に共感し、昨年いろいろと関わらせてもらったきらめ樹ですが、その中でたくさんのことを学ばせてもらいました。
その中で出会った方達と今後も良い関係で繋がっていくとは思いますが、僕ら夫婦は、きらめ樹をメインの活動としてバリバリやっていくわけではありません。なので、今後どう関わっていくのが良いのかなーとか、話しました。
世の中には、未来に対して危機感を持ち、それを解決するための行動を、色んな形でされている方が、いっぱいいると思います。
大きな活動、小さな活動。
きらめ樹も、とても素敵で強い信念を持って行動を起こしている、その中のひとつだと思います。
ご興味のある方は、ぜひ知ってみてください。
さて、そんなこんなで、今日の作業はここまで。
今日は夜のために、少しお料理をしないといけないのです。
大根もちを作りました。
大根をすりおろして、片栗粉と好きな具材を混ぜ込んで、焼くやつ。
この前ひだまりのけんちゃんが作ってくれたのを食べて、モチモチしてすごく美味しかったので、作ってみようと思ったのです。
これと、おにぎりを、なんとかお迎えの時間までに作ることが出来ました。
そして子どもたちと嫁さんとみんなで、ご近所さんのお家に向かいます。
訪れたのは、僕らの住む小挾間地区とは、川を挟んでお隣の、柚木(ゆのき)地区というところに住んでる、安部こういちさんのお家。
僕のブログでもよく登場する、三原家のみんなも、この柚木地区に住んでます。
こういちさんも、20数年前に岡山からこの地に移住されてきた移住の先輩で、以来この地で竹細工作家さんとして、営んでらっしゃいます。
僕らが移住してきてからも、とても応援してくれている方です。
今では、嫁さんの竹細工の先生でもあります。
こういちさんの家の敷地の横には、こういちさん手作りのアスレチックがあって、こどもたちは喜んで遊んでました。
いろんな遊具が。すべて手作り。
こういうのいいなーと、思いました。僕も家につくってあげたい。
そして、みんなが集まり、宴のスタート。
実は今日は、ある方の送別会なのです。
湧(わく)くん。歳は16歳。
長野県から、半年前に、竹籠作りの技術を学ぶ為に、ひとりでこの地にやってきました。
この地域は竹細工のさかんな地域なので、こういちさんや、今パラグアイに行ってて今日は不在のまっぽんさんの所に住み込みながら、竹籠作りを学んでいたのです。
その生活もとりあえずの終わりを迎え、この度3月をもって、長野に帰ることになっているのです。
それで、関わりのあった人たちが集まって、湧くんを送る会をしようということで、僕らも誘ってもらったのです。
僕自身は、なかなかゆっくり湧くんと話せる機会がなかったのですが、それでもマーケットで一緒に作業をしたり、湧くんについての色んな話を聞いてたりしました。
嫁さんのほうが、湧くんにも竹細工の作り方を教えてもらってたり、関わりが深かったかな。
湧くんについては、ほんと僕なんかが一言じゃ語り尽くせないほど、物語を持った人です。
ちょっと間違いがあるかもだけど、湧くんは小学校から、学校というものに行ってないそうです。
それでも現在この歳にして、自分で考え、判断し、行動し、明確な目的を持って、自らの道を自らの責任で歩んでいます。
接していると、そういうことがしっかりと伝わってきます。
接していると、その振る舞いについて、まだ子供、という感じは全く無く、
もう本当に立派なひとりの大人です。
むしろ自分なんかよりよっぽどしっかりしてるわ、と、背筋が伸びるような気さえします。
世の中の「常識」ではなく、本当に自らの心と身体で感じる価値観を指針として、日々を営んでいく。そういう環境のもとで、そういう親御さんのもとで、育ってきたんだろうなあと思います。
小・中・高・大、そして就職。
世の中の常になっているこの道筋を、否定する訳じゃなく、それはそれで立派な素晴らしい道のひとつだと思います。
でも、「学ぶ」ということを目的としたときに、その手段は、本来無限の形があるものだと思います。
人間形成、についても、同じように。
今、何がしたいのか。
その欲求の内容やタイミングは、本来、人によって千差万別だと思います。
それと行動が、ピシャリ、と合ったときに、一番、本人にとっての学びは最大限得られるものなんだろうと思います。
その欲求が湧き上がってきた時、素直にそれに従って行動することが出来れば、人はとても、幸せだろう。
充実し、生き生きし、主体的・積極的になれると思います。
そんなだと社会性が身につかないんじゃないのか?
という意見もあると思いますが、
僕はそうは思いません。
それを追求し、自らで考えて行動する中、人と接する中で、おのずと人として大事な部分は、磨かれていくものだと思います。
自らで道を切り開く力、他への感謝や思いやり、礼儀や作法、そういったものを。
誰のせいでも強制でもなく、自らの意思と責任の元、行動する中でこそ、そいういったものは育まれていくんだろうと思います。
願わくば、一本の道が「あたりまえ」となる状況ではなく、
いろんな形があることが「あたりまえ」となる、そんな状況に、もっとなればいいなと思います。
なっちゃんやろくちゃんや、自分の周りの子供たちにも、そういった目線で接してあげたいと思っています。
湧くんを見てると、なんかそういったことを体現している人のような。。
なんだか希望が湧いてくる、そういう思いが込み上げてきます。
ちなみに、湧くんのお母さんが、ブログを書いていて、それを拝見させてもらいました。それを見ると、湧くんのベースにあるものが、分かると思います。
またまたちなみに、湧くんのお母さんは、「なつめさん」とおっしゃるそうです。ひらがなで。なっちゃんと一緒ですね。
子供たちは、今日も爆裂騒いでました。
ろくちゃんよりひとつ年上の、いっくんと。
今後の湧くんが、どんな道を歩んでいくのか、とても楽しみです。
またいつか、巡り会いたいなと思います。
たくさん楽しませてもらい、22時帰宅。
みんなそのまま就寝。
僕もまた明日から、湧くんを見習って、真っ直ぐに進んでいきたいと思います。。