キミコさんの話
今日は午前中、昨日刈り残した、田んぼ草刈りを終わらせ、
近所のキミコおばあちゃんの家へ。
先日の台風で、何か困ったことは起きてないか、様子を見に行こうと思ったのです。
キミコさんは、御歳93歳。
ご主人は20年前に亡くなられ、それ以来、ここでおひとりで暮らしています。
幸い、台風での影響は、何もなかったようです。
ただ、2週間くらい前に、外で転んでしまったようで、顔にアザが残ってました。
まだまだお元気ですが、やっぱり足腰が言うことを聞かなくなってくるんじゃと言っていました。
何かできることは、やってあげたいと思います。
ともあれ台風の被害は無くてよかった。
昔の家の作りは、今よりもよっぽどしっかりしてるので、むしろこっちのほうが頑丈そうでした。キミコさんも、そう言ってました。
お茶を頂きながら、キミコさんと少し話をしました。
キミコさんの昔話や、最近の話。
村の現状の話。
そして、前にも少し話したけど、キミコさんが去年まで作っていた、田んぼの話。
キミコさんは去年まで、頑張って田んぼを作ってました。
田植え、稲刈りには、山口に住んでらっしゃる息子さんが、帰ってきて一緒にやってたらしいのですが、それまでの苗をつくったり草を刈ったり水管理したりというのは、キミコさんがやってたそうです。
それでも、いよいよ身体もしんどくなってきたので、今年はもう作らなかったそうです。
なので、せっかく田んぼも、必要な機械も全部あるので、誰か若い人がやってくれんかな。
というのが、キミコさんの思いなのです。
キミコさんの田んぼ。
今年はつくらなかったので、草が生えてます。
昔はもっとたくさん(2町歩くらい)作ってたけど、今は6反くらいかな、と言っていました。
田植え機、コンバインなど、必要な機械は全部あって、使ってくれていいと言ってくれてます。
りっぱな乾燥機も。
息子さんがシステムを上手に作って、刈り取りから→乾燥→脱穀まで、スムーズにできるようになってます。
すぐ横が田んぼ。
乾燥機の横には、納屋&牛舎が。
この納屋&牛舎も、とてもしっかりした作りです。
ちょっと手を入れれば、十分、人が住めるようにも改装できそう。
御歳93歳のキミコさん。
キミコさんは言います。
「わたしはひとりで住んどるし、あと帰ってくるもんもおらん。誰か若いもんが、チームを作って、ここを好きにしてくれたらいい。ひとりだと大変じゃが、何人かでやれば、色んなことができるんじゃないかの。そのために機械も全部売らず取ってあるから、好きに使ってくれていい。なんじゃったら、ここの納屋も住めるようにして、住んでくれてもいい。そしたらわたしも安心じゃし 笑。田んぼづくりのことは、わたしが一通り分かるから、教えてあげながら出来るし。」
僕もそう、思います。
ノウハウや土地や道具を持たない若者たちが、それを持ってる先人から、それらを受け継ぐ。代わりに不自由になってきたことに手を貸してあげるなど、出来ることで返していく。そうじゃなくても、受け取ったものをまた次の世代に受け渡すことで、「還す」にしてもいいと思う。
それが、本来あるべき、まっとうな「循環のカタチ」のひとつなんだと思います。
現状、田んぼの担い手がいなくて、困ってるケースは、日本中たくさんあると思います。その中で、キミコさんの言うように、手を上げる人は簡単には見つからないかもしれません。
でも、機械もすべて使っていいよというのは、魅力的。(機械を必要とする農法を推奨するかという話は、また別にあるとして。)
ちょっと一年、草は生やしてしまったけど、すぐに始められる土台は整ってます。
でも実際、この、「やってほしい」人と、「やりたい」人とが、世の中でうまくマッチングできてないだけで、結びついてない総数は、けっこうあるんじゃないかと思ってます。
今まだ僕にできることは、目の前のことひとつひとつだけど、このマッチングがもっとスムーズにいく、世の中になればいいなあと思います。
(実際繋げる場は今、世の中でいろいろ出来てきてるんでしょうけど、まだまだ眠ってる思いのほうが圧倒的に多い気がします)
そうすれば、幸せな人が、場所が、もっと増えるんじゃないかと思います。
って、僕がやればいいじゃん、かもしれませんが、目下僕も、自分がいま住んでる場所で、受け継ぐべき田んぼが8反ほどあります。
キミコさんの田んぼや、その他村全体で出来なくなってきつつある田んぼも含めて、それらをどうしようかというのは、本当に悩むべき課題です。
僕の理想は、各家庭が、各家庭で食べる分だけ、自分たちで食べ物をつくる。というのが理想です。
そうすれば、仰々しい機械がなくても、害のある農法をしなくても、手作業の範囲内で出来るんじゃないかと思うし、そういう家庭の総数が増えるのが、理想。
そういう家庭が増えることで、田舎の土地や農地が埋まり、今ある農地を維持できるのが、理想。
これまでの歴史を見ると、米を作って売ってお金にしてそれでモノを買って生きていくというシステムが発展してく中で、たくさんの農地がつくられ、少人数でも楽に多収穫出来る農法が開発されてきたんだと思います。
簡単にいうと、「農業」と、「それをナリワイとして生きる」ということがなされてきた結果、現状に行き着いてるように思います。
やっぱそれが、「持続可能」なシステムじゃなかったからこそ、いろんな問題が出てきてるんだと思います。
まあ、このこと単体では、語れないことだとは思いますけど。
それを、農業をやる人が少なくなってきた今、残った少ない人が、その農地を維持するためにヒーヒー言いながらやっている。
実際、
「そんな儲けにもならんし、辞めれるんなら辞めたい。でも代々作ってきた田んぼじゃし。誰かやってくれんかな。」
という声を、身近なとこでもよく耳にします。
だからそれをまた次の世代が、農地に対して少ない割合の人数で、維持のためにヒーヒーいいながらやってくのも、なんか違う気がする。
要は、自分たちに必要以上のものをつくる構造が、問題なんだと、個人的には思うんです。
だから、前述の、「自分のたちで自分たちの食べ物を作る家庭」という分母の総数が増えるのが、理想だと思ってます。
…まあそれは、生産者と消費者がいる現代社会の構造からシフトしてかなきゃいけない問題なので、たくさんのハードルがあると思うし、ゆっくりと時間をかけてじゃないとシフトできないことだと思いますが。。
ともあれ、目下維持しきれなくなってきてる農地がたくさんあります。
別角度から言えば、自分たちの手以上のことは、もう作らなくてもいいんじゃないかとも思うけど、
じゃあ仮に、耕作しなかったとして、その農地が荒れっぱなしで良いのか。
森に戻す、という考えでも良いのか。
それか何か、後の利用法というか有効な空間の使い方として、良い案はあるのかというと、まだ思いついてません。
さっきのと合わせて、
・田舎に住んでたべものを作る人の総数が増える
・現農地の後利用法を考える
というのを、考えていきたいと思います。
それと、キミコさんも言っていたように、ひとりでは大変なことも何人かでやれば出来ることがたくさんあると思うので、そういうことも、色んな人とやってければいいなと思います。
長くなりましたが、
ということで、誰がキミコさんの場所、興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひ声をかけてください。
キミコさんちにある、大きなムクの樹。
大木は、それだけで魅力的です。
ぽつぽつと、黒い実が落ちていました。
むかしはこの実を、よく食べていたそうです。