暮らしづくりペイフォワード
毎日あたまの中をいろんな事が巡ってて、頭の中では言葉にできてるんだけど、口や文章に出すとうまくカタチにできなくて、そんなことがたくさんあります。
作業してたりすると、ふと言葉が浮かんできて、メモを書き留めたりすることがあります。
あとは人と話してて、もがきながら説明したりなんかすると、そのあとでふと言葉として整理できることもあります。
そんな中ふと思ったのが、僕がしたいことを言葉にすると、「暮らしづくりのペイフォワード」みたいなものになるのかもしれないな。ということ。
以下、綴ってみたいと思います。
こういうと語弊をはらむかも知れませんし、一言で表せることではないですけど、
僕はやっぱり、今世の中に起きている様々な問題の根底には、お金の存在があると思ってます。
お金そのものというより、俗にいう「お金がものを言う」という現代のライフスタイルが。
そこが変化していかないと、やっぱり物事の本質にはたどり着けないと思いますし、問題の根本の解決には至らないと思います。
すでにいろんな方がそうおっしゃられてますが、僕もそう思います。
かといって、いきなりすべてお金を使わず生きるということではないし、そんなことまだ出来ないし、それがベストかと問われると正直よく分かりません。とてもいいバランスの落とし所があると思うんですが、まだはっきり見えてません。
だけどせめて、生きるために仕方なくお金を稼ぎ・使うという状況から脱却したい。
”幸せに生きるために最低限必要なもの” は、お金を使わなくても得られる状態にしたい。
(”幸せに”の部分が大事。ただ生きれればいいわけじゃない)
具体的には食・住。そして衣。
そのあと、医療、教育など、続くのかな。
そうすれば、生きるために、最悪、お金が無くともやっていける。
言い換えれば、娯楽や、買い物や、旅行や、芸術活動など、プラスアルファの部分に、必要なだけお金を用意し、そのためにだけ思いっきり使うことができる。
生きること何にでもにお金が必要な状態だと、いるかいらないか分からないけど、とにかく出来るだけたくさん持っていたいって、僕は思います。
この状態だと、出来るだけ多く集めたいと思うし、出来るだけ使いたくないって思うし、本当はこれに使いたいってものがあっても、我慢してスルーしてしまうこともあると思います。
この、”十分” が分からないまま、生涯お金を集め続けなきゃいけないってボヤっとした感じが、僕にとってはすごくゲンナリすることなので、出来ればそのスパイラルから抜けたいって思います。
その点、暮らしに関わる部分は自給できて、プラスアルファの部分だけにお金が必要という状態であれば、目的の額がはっきりする。
はっきりとした目的が見えていて、その分だけお金を得るように働き、使えばいい。
僕はなんだかそれだと、サッパリして気持ちいい。
(だから僕が思うのは、自給自足をするということは、何かを我慢する類のものじゃなくて、逆に欲しいものを確実にゲットするための、とっても理にかなった方法だと思うんです。)
言い換えると、お金は、「生きるための手段」ではなく、「目的を成すための手段」でありたい、ということかなと思います。
前置きが長くなりましたが…
だから、僕はまず、自分たち家族が、幸せに生きるのに最低限必要なものを自給できることを、目指したいと思います。
そして、僕ら家族がそういう状況に至ったら、今度は誰かがそういう状態になるのを、お手伝いしたい。それは無償で。
だって、僕らが生きるために必要ものは自給できる状態になっているから、それを維持する労力だけキープできれば(これ一番大事。ここを崩さないことが絶対条件。これが崩れると、本末転倒になる)余った労力は、無償で提供しても問題ない。
というか、生きることにお金は必要ないから、お金にはならないけど価値のあることに、思いっきり投資できる。
お手伝いの内容は(イコールこれから自身が身に付けたいことになるんですけど)、
・土地を開墾すること
・住処をつくること(新築・リノベーション)
・畑や田んぼをつくること
・作物の育て方を知ること
・採取・狩猟を学ぶこと
・たべものの加工法・調理法・保存法を会得すること
・自然療法について勉強すること
・子育て・教育・介護などの助け合いネットワークに繋げること
・衣料や道具の作り方を学ぶこと
・お金が必要になたときに得る方法(その人なりのプラスアルファの半Xは何か)を考えること
などでしょうか。
ひと家族ではそれらを構築していくのは大変な労力だけど、ふた家族に増えるだけで、全然違うとおもいます。
しかもひと家族は経験者。
僕らがお手伝いしてあげる人(家族)は、無償で、二馬力になる。
僕らが得てきた経験と、その人の持つ経験・スキルが合わさり、まして2馬力になれば、僕らよりは自給状態になるのが早いはず。
それが到達すれば、今度はまた別の人を、今度は完了したふた組で手伝ってあげる。
これで3馬力。もっと早い。
今度は三組でまた次の人を。4馬力。めちゃはやい。
次くらいから二手にわかれていいかも。そしたら3馬力×2。
その次は三手にわかれれば… 3馬力×3に。
まずは僕らがひと家族で到達するのに、10年かかるとします。
その次の2馬力のときには、半分の5年でできるかもしれない。
3馬力になると3年でできるかもしれない。。
そうやって、暮らしが成り立つところまで来た人が、次のひとを無償で手伝ってやるという風にすれば、進めば進むほど負担なく、自給家族が増えていくんじゃなかろうかと。
だから、これを実現させるために、僕は何としても、10年くらいでおおかた暮らしの自給ができる状態に持っていきたい(理想は、今年4歳の娘が、小学校を卒業するまでに。そうするとあと8年)。急いでもできない道ですし、明確なゴールなどない道ですが、あまり長くかかりすぎて、しょうがなく経済の波に飲まれてしまう状況になるといけないから。
その道のりを歩む上では、できるだけいろんなことを自分の手でやって、いろんなことを体験してみたい。少しでも多くの、自分の体感を持ってしての情報を、人に伝えられるように。
そして、それは楽しく、楽しくです。
ほんと少しずつ実感してるけど、それまで ”買う” という選択肢が当たり前だった頃に比べ、自分の手でつくることを覚えると、ひとつひとつが、とても楽しい。
上出来・不出来に関わらず、じんわりとした充実感や満足感が、込み上げてきます。
自分でつくると、ほとんどの場合、市販のものより身体にも良いものができるし、なおかつその行為が環境や遠く見知らぬ人にもいい影響を与えることができるなんて、いいことずくめです。
こんな感じで、手作りの暮らしを、構築したい。
そして自分が出来たら、そのあとは他の人のお手伝いがしたい。
これを、お金の流れの中ではなくて、無償の流れの中で行いたい…
まだまだ夢物語のようですが、コツコツ歩めば、必ず到達できるような気がしてます。
試行錯誤しながら、道を作っていきたいと思います。