必要な仕事とケンカ
6時半みんな起床。
朝ごはんは納豆ごはんとお味噌汁。
今日は嫁さんがなっちゃんを送っていってくれ、僕は今日は草刈りしごと。今日はお金をいただいてやる草刈りです。
作業場所は近所。同じ大津留地区内です。
僕らの住む大津留地区は、7つの地区から成っています。
僕らはその中のひとつ、小挾間(おばさま)地区に住んでいます。
今日はお隣の柚木(ゆのき)地区の竹作家さん、安部功一さんと2人での作業でした。
今回は、手が入らなくなって荒れている場所を、整備して欲しいとのことでした。
こういう地域内での必要な仕事は、実はかなりの量あるんです。
というか、誰かがやらないとという状況なんです。
その背景を少し考えてみると、
昔はそこに住む人が、家を中心とした手の届く範囲の中で、様々な暮らしの営みを行ってきました。
食べ物をつくること・採る(獲る)こと。住処をつくること。燃料を取ること。遊ぶこと。。
その日々の中、ひとは機能的に場を整備し、それでいて豊かな恵みを最大限・そして持続的に受け取れるよう、決して傷つけすぎない、ほどよく寄り添う形で、自然環境との関係を築いていたんだと思います。
生きること=食べ物・暮らしの場をつくること=環境を整えること=仕事。
昔は、そうだったんだとおもいます。
そうやってたくさんの人が携わる中で、機能美を伴った景観の美しさというのが、形づくられ、維持されてきたんだと思います。
けど、今は、仮にその場所に住んでいても、ほとんどの人が外に「仕事」をしに行きます。お金をかせぐことを「仕事」といい、その得たお金で食べ物を買い、家を買い、それが生きることの手段になっています。
そして、時間がない時間がない、になり、これまで手をかけてきた「身の回りの場」が、使われなくなり、手を入れられなくなり、どんどんと荒れ果てていきます。
荒れれば荒れるほど、ひとが暮らしにくくなり、景観も魅力が無くなり、また人が離れていく。
どこの田舎も、そういった状況なんだと思います。
僕が思うのは、身近な場所に、必要な仕事や労力を割くべき大切なことがたくさんあるのに、それを差し置いて外にしごとをしに行くというのが、なんかヘンなように思うんです。
足元が固まっていてこその、外への広がりだと思うんです。
自分たちが暮らす場所・ベースが整ってることが、まず先決じゃないかと思うんです。
確かに、「お金を得られる仕事」ではないかもしれません。
でも、「豊かに生きるための仕事」は、こっちじゃないかと思うんです。
そんな風な考えから、ぼくは外に仕事に出るよりも、なるべく自分たちが暮らす周りが豊かになることに、労力を割きたいと思っています。
それが可能になるような暮らしの仕組みを、つくっていきたいと思っています。
で、写真も撮る間がないくらい結構なボリュームがありました…
すべて傾斜地の作業で、竹もビッシリ生えてる箇所や、雑木も混じってるとこなんかもあって、チェーンソーも持ち出しての作業になりました。
なんとかかんとか、予定のとこまで行けました。
功一さんはかつて林業の経験もある方なので、さすがの作業量でした。
功一さんも僕と似たような考えなので、今後も協力して地域の仕事をやっていきたいと思ってますが、それでもボリュームに対しての人数がまだまだ少ないです。もっと同じような考えで、動いてくれる仲間を増やしたいなあ。
17時作業終了。
そして、今日は、よるに夫婦ゲンカをしてしましました。
そのたびにいつも反省するのが、夫婦の間では、
「正しさ より 優しさ」
で、接すること。
正しさよりも優しさで、接していきたいと思ってはいるのですが、つい正論を振りかざしてしまいます。
よるごはん、肉どうふ春菊入り。
ろくちゃんとお風呂
9時半みんな就寝。
仲直り、できるかなあ…