草を刈る理由
7時半みんな起床。
朝ごはんはおもち。
なっちゃん今日もぐずりながらも、保育園に行く。
さて、今日は昨日の続きで、キミ子おばあちゃんちの草刈りです。
相変わらず結構なすごさなので、気合を入れてやります。
今回やるべきエリアは、全部で5区画あるのですが、1日1区画がやっとです。なので、最低5日はかかりそうです。
実はこの仕事は、特にお金をもらうわけではありません。
おばあちゃんが困ってると他から聞いたので、じゃあ僕やりましょうか?とやってるだけです。
普通、こんなに時間をかけて、無償でする人なんてあんまりいないんでしょうけど(実際僕がこんなことをしてると、訝しがられたり、変な人だな、と思われたりすることもあります)でもいいんです。
僕にとって、「あたりまえ」だと思うことを、素直にやるだけです。
そりゃあ、一見自分の時間を割いて、その分の具体的な実入りがすぐに無いことは、生活する上でのリスクはもちろんあります。
こういうことをしてて、問題無いという余裕や確証などは、どこにもありません。
でも僕は、今こうしてやってることが、「僕たち家族を含め、みんなで、楽しく、安心して、豊かに暮らしていくこと」に、確実に繋がってることだという、確信に近いものをもっています。
それは、こうなったらいいのにな。。という、希望を実現する為の、プロセスというか、チャレンジでもあるんですけど。
こうなったらいいのにな。。というのは、
言ってみれば、僕は今僕が行ってるようなことが、普通になればいいのになと思ってます。
なんでもかんでも人が動くと、金勘定が発生する風潮の世の中だけど、純粋に、困っている人や物事を、出来るひとがやっていく世の中。そこに金勘定は入りこまなくて。
一見、甘い考え、きれいごとのような理想論のように思えるかもしれないけど、僕はそうは思わなくて、結果自分に利をもたらす、合理的な行為だと思っています。
だって、紛れもなく、自分たちの暮らしは、自分たちだけでなく、その周りを包むものがあってこそ成り立ってるわけで、その包むものが良くなることで、中の自分たちも良くなるのは当然なわけで。
言い換えると、自分たちの生活圏内が暮らしやすくなれば、おのずと自分たちの生活もしやすくなる。と僕は思うのです。
だから、一見、個人の利を確保することが合理的なように思えるけど、僕は共有の利、をなるべくたくさん作るほうが、結果自分の持ち物は多くなるという考え方なのです。
これは、オモンパカルの考えを載せたプロジェクトページにも書いてます。
結果として、「僕たち家族を含め、みんなで、楽しく、安心して、豊かに暮らしていくこと」が出来ればいいわけです。
その手段は、お金を確保すること、だけでは無いはずです。
確信はあるけど確証はない、綱渡り的なチャレンジですけど、世の中の普通を変えるには、誰かが身を削りながら先陣を切らないとと思います。自分がそう思うのなら、自分が切るのがスジでしょう。
でも大前提なのは、その移行期間に、家族に不自由をさせないこと。お金を介さない安心をつくるのはいいけれど、その移行期間中に、お金が無いことで家族に不自由をかけることは、あってはならない。
あくまでも目指す場所を見据えながら、その道筋は、ちゃんと現状を捉えながらバランスをとって歩いていく。
矛盾を含んでるようですが、それでもそっちを目指さないことには、変わりようが無い。目指し続けることで、何かが変わると、信じてやっていくだけです。
と、カタいこと書きましたが、単純に、おばあちゃんの為にやってあげたいと思ったからです。じぶんのおばあちゃんだったら、お金なんかもらわないでしょ?そういう感覚です。
17時作業終了。
なっちゃんのお迎え。
朝ぐずってたけど、帰ってくるときはご機嫌で、安心しました。
今日のご飯は、オムライス、野菜スープ、ほうれん草のバター炒め。
なっちゃんと緑太くんとお風呂に入る。
そのあとなっちゃんが遊んでいるときに、眠さもあってちょっとヒステリックになり、のりをぶちまける惨事に。
そのあと落ち着いて絵本を読んでましたが。
9時半みんな就寝。
今日も良い、1日でした。。