大人の都合と子供の都合
今日は5時起床。
先日図書館で久しぶりに借りた小説を、読みました。
みんな7時起床。
朝は昨日持って帰ったおもちでお雑煮を食べました。

赤米のおもち。
これも、つぶつぶが残っててとても美味しい。
で、今日は一応なっちゃんのお熱は下がってたのですが、いざ保育園に出かける間際になって、「行きたくない…」と言いだしました。
ほんと時々だけど、こういうことがあります。
僕らはその際、できるだけ「うん、わかった。いいよ。」と言うようにしてます。
(嫁さんと100%一致してるかは分かりませんが。一応アイコンタクトで、どうする?と、お互いの意思確認はしてからにしてます)
まだ理由を聞いてもそんなにハッキリは言えないし、保育園がイヤというよりも、家族と離れがたいんだろうとなんとなく分かるので、特に理由は追求しません。
そりゃ、保育園を休ませると、その日予定していたことはほとんど出来なくなります。
でも僕は、幸いどこかに勤めているわけではなく、第三者からの時間の強要
を強いられることはありません。というか、そういう生き方をしようと、道を選んできました。
それはまさに、こういう時のためです。
ほとんどの場合、子供の都合って、おとなの都合によりかき消されてしまうものだと思います。
それはしょうがないことだけど、子供の気分や意思よりも、大人都合のタイムスケジュールやペースで、子供の毎日は進んでいくと思います。
別の言い方をすると、大人の子供に対して怒るときや、イライラするときって、ほとんどが大人の都合を乱されるからだという気がします。
残念ながら、子供の都合に合わせてあげられないんですね。待ってあげられないんですね。今の世の中というか、常識となってる生き方のペースでは。
でも僕は、なんとなくそれを、しょうがないからとしたくなかった。
出来るだけ、どんな場面でも、思うように気の向くままにさせてあげたいと思った。
それは甘やかしという見方をされるかもしれないけど、少なくとも大人の都合により強制的に行動を強要したくはなかった。きちんと向き合って、理由を聞いたり、本人の意思で行動を選ぶケースを、なるべく多く与えてあげたかった。
それがどういう結果になるか分からないけど、僕はそうさせてあげたい、僕はそうしたいと思った。
それを可能にできるかどうかは、僕がそれを可能にする状況をつくれるかということ。こどものペースにじっくり付き合ってあげても、崩れることのない暮らしを作りあげること。どんな状況になっても、大きく包んであげられる土台を維持すること。
そうやって、できるだけたくさんの時間を、こどもたちと真正面から向き合っていたいというのが、僕の希望です。
そのためには、がんばらんとね。
と、いうことで今日は元々の予定だった嫁さんの免許更新に付き合ったわけで、なっちゃんも連れてったんですが、もう今日の機嫌の悪いこと悪いこと。家に戻ったあとも、ほとんど自分の作業はできず。合間に少しガレキ拾い。前文で偉そうなこと言っといてなんだけど、今日はさすがにまいった。。でもほんと機嫌の悪さが尋常じゃない。熱は一応下がってるけど、やっぱりまだ調子悪いのかなあ。。
こういう時は特にお母ちゃんお母ちゃんで、お母ちゃんが抱っこしてないと一時も持ちません。お父ちゃんは少し寂しいと思いつつも、滞りなく事態が進むように、緑太くんの相手をしながら、諸々家事を進めます。
今日はごはん僕がつくりました。嫁さんに指示もらいながら。
白菜と豆腐と豚肉と卵のチャンプルー。
結局お母ちゃんと子供たち二人が一緒にお風呂に入り、就寝準備。
8時半みんな就寝。
僕は昼間あまり作業できなかったぶん、夜がんばろうと思い、wifi環境のあるマックへ。(数日前から訳あって家でネットが出来ないので…)
携帯変更のための写真整理や、ブログ作業などを行いました。
というか、現在進行中。。
がんばりましょう。