みんなのもの

朝晩の気温もずいぶんと涼しくなり、夏の終わりを感じる今日この頃です。
僕の住む小挾間村は、「中山間地域」に指定されていて、その認定の為に、ある一定の作付け面積を維持しないといけないらしいのです。 (中山間地域に指定されると、補助金が出るらしいので。それが、村の収入の一旦を担っている。)
その為、村のみんなで管理している田んぼがあったり、高齢で維持が難しくなってきてる人の田んぼを、みんなでやってあげたりしています。
先日の日曜日は、それらの田んぼの草刈り。
出れる人が集まって、みんなで作業します。

作業は朝の7時から。天気は気持ちの良い晴れの日です。
小挾間村からは、「豊後富士」こと由布岳と、その隣の鶴見山が綺麗に見えます。
村での暮らしでは、みんなで維持していくものが結構あります。
こういった田んぼの管理、水路の管理、掃除、etc…
少し大変なこともありますが、個人的にはみなさんと顔を合わせられる楽しいときでもありますし、この土地とひとつひとつ親密になれるような気がする、とても好きな機会でもあります。
さて、こういった類の「みんなのもの」もありますが、日常の中では、違う側面の「みんなのもを」を感じれるときも、多々あります。
その一つがこれ。

昨日の収穫です。
って、実はこれ全部、「もらいもの」なんです。
堀家は今、村で3つに別れている「班」のひとつの班長なのですが(班長は1年ごとの持ち回りで、今年はウチの番)、それもあって近所を回ることが結構あります。
その時だけじゃないのですが、顔を合わすと決まって言われるのが、
「なんか持っていかんかえ?」
です。
村では色んな果樹が成っていたり、みなさんそれぞれ野菜を作られたりしています。
ここに写っている他に、キュウリ、カボチャ、ニラ、ネギ、ニンニク、スイカ、ビワ、ウメ…なんかも、この夏は良くもらいました。ときには、梅干しや山菜の佃煮なんかも、頂きます。
僕は今年ジャガイモしか作れていなかったのですが、それでも、旬のものはほとんど買っていない気がします。
しかもたいてい、無農薬・無化学肥料で作られているので、なお嬉しいのです。食べるのに、一番安心。
ぶっちゃけ非常にありがたいのです。
物質的なありがたさもあるのですが、それ以上に、なんだか心がほっこりします。
そんな中、何も持たない僕は、決まってこう言います。
「何か手伝うことはありますか?」
「今は大丈夫よ」、と言われることもあれば、「じゃーちょっとお願いしていいかえ」と、高いとこの木の実を取ってあげたり(ついでにちょっと剪定したり)、危ないとこの草刈りをしてあげたり、ニンニクの皮むきをしたりなんかすることもあります。
幸い体力だけは、まだ持ってますから。
こんな風に、足りないものは、みんなで補う。
たくさんあるものは、みんなで分け合う。
小学校の教科書にあるような言葉ですが、実感を伴うと、とても理にかなっているなと思うし、しみじみと良いことばかりだなと思います。

ウチの裏にも、ブルーベリーの樹が。採りたて食べたりジャムにしたり楽しみました。
(余談ですが、近所を訪ねるとき、一番効力を発揮するのが、子供を連れていったときです。みなさんとても喜んでくれ可愛がってくれ、色々なものを持たせてくれます。言ってみれば、子供たちも、「みんなのもの」のひとつなんですね。)
昔は(ところによれば今も)当たり前のことなのかもしれませんが、自分たちにとっては、経験するたび、新鮮な気持ちになります。
同時に、安心感がじわじわとわいてきます。
「自分ごと」の範囲が広がれば広がるほど、手のかかる範囲も増えるけど、その分得るもの増えるんだなと、最近感じています。
自分たちも、村のみなさんの助けに、もっとなりたいなあとも、思うのでした。